トルコで見つかった世界最古の都市チャタル・ヒュユクの遺跡(8500年前)から、アワ、大麦と女神像が出土しています。日本でも山形県西ノ前遺跡から土偶の「縄文の女神」、長野県棚畑遺跡からは「縄文のビーナス」、中ツ原遺跡からも「仮面の女神」が出土しています。青森県の縄文時代の大規模集落・三内丸山遺跡からも多くの土偶の女性像やクリの巨木を使った住居跡や土器、石器などの生活関連遺物が発掘されています。
世界各地の先住民は、大地から穀物を生み出す力は命を生む女性であり、地球を母と感じその分身として女性を敬い、暮らしてきたのだと考えられているからです。
日本では田植えには早乙女と呼ばれる女性たちがする習わしがあるように、旧石器時代には女神信仰が存在していたといわれています。
地球がもたらす人々の命をつなぐ雑穀は、女性の化身だと敬われてきたのです。
豊かな古代の食生活
長野県上松町のお宮の森裏遺跡から縄文時代草創期(1万6千~1万1千年前)の国内最古の「クリの実」が発掘され、形が残る実が2個、実の破片が870個見つかっています。
また、千葉市の日本最大級の加曽利貝塚では、ハマグリやアサリと一緒に小指の先ほどの巻き貝、イボキサゴが多く出土していて、小さな貝を食べたのだろうかと謎でしたが最近の調査でどうやらこの貝は調味料で、ダシとして使ったのではと提起され、「和食の起源」と言われています。
狩猟採集の文化が1万年も続いた縄文時代は、雑穀たちは日々の主食として君臨していたのでしょうから、豊かな食生活が見えてきます。
奈良の纏向(まきむく)遺跡からは西暦135~230年頃の「桃の種」が2800個も見つかりました。この時代は邪馬台国の女王、卑弥呼(ひみこ)の時代で、卑弥呼も桃を食べていた可能性があると、話題になっています。
古代は豊かな自然の恵みを上手に利用した食生活だったのですね。
民謡「ひえつき節」を唄いながら
雑穀を代表するヒエやアワは、古くは主食でした。宮崎県の平家の落人が住みついた椎葉村で唄われている民謡「ひえつき節」をご存知でしょうか。ダム工事に入った工事関係者たちから広がり1953年(昭和28)にレコードに吹き込まれて全国に広がりました。
「庭の山椒の木鳴る鈴かててヨーホ 鈴の鳴るときや出ておじゃれヨー なんぼついてもこのヒエ搗けぬ、どこの蔵の下積みかヨ~」
椎葉村では焼畑のヒエ畑から穂先だけを刈り取り、杵でヒエを搗いて脱穀するときに唄われた仕事唄でした。
岩手県の北上山系地帯や熊本県の山地でもヒエを搗く時の仕事唄として今も残っているそうです。農閑期に男女が集まってヒエを搗くときには、恋の唄の掛け合いになったとか。ヒエは体を芯から温める陽性な穀物で、縄文時代以前から日本全土で栽培され、山間地では昭和40年代まで主食の座を保っていました。
菜食主義で強靭な体力を保つマサイ人
人は、一日で帰ってこられる広さは半径約16km以内で、昔の人は“四里四方の食べ物を食べると健康になる”といい、この範囲の食べ物を主にして、季節の山野草や地野菜を食べて季節の気候に対応する力をもって生きてきたのです。「身土不二」という教えは長い人間の営みの知恵なのです。
狩猟民族として名高いケニアのマサイの人々も、食料の八割以上を植物に依存しているそうです。
タカキビやシコクビエ、トウジンビエ、アフリカ稲などの雑穀と菜食、芋、豆を中心とした菜食で強靭な体力と健康を保っています。
豊富な食生活に満たされた現代人が、いま雑穀に魅せられるのは“先祖帰り”なのでしょうか。小さな“ツブ”の雑穀が強力な力を持っていることを現代の栄養学が多様な植物栄養素の成分の発見とその効用を実証してくれたことでマサイ人の強靭な体力の秘密を解きあかしてくれたのですね。
逆転の発想の雑穀
種は進化のなかで常に種の持続のために生き残りをかけてきました。受粉をさせる工夫、種を遠くに運ばせたり、にがみや少しの薬物を盛ったり、目立たぬような小さな粒にしたりと様々な工夫をして来ました。
20世紀に栄養学が始まっても、雑穀は古代の植物で止まっていましたが、21世紀になって植物栄養素の注目で雑穀の機能が一躍注目されています。これまで雑穀の食物繊維は消化できなく栄養価値もなく、食べ物の消化を邪魔するものと扱われてきました。ところが、21世紀になくてはならない健康食材として雑穀の逆転の発想が評価されています。かさがあり、よく噛まないと食べられないので少量でも満腹になり、水溶性食物繊維が大腸内を弱酸性に保ち善玉腸内菌を育て、腸壁を守り腸内の働きを活発にし、有害成分の排出や排泄も促進するなどの機能性があり、加えて豊富な植物栄養素の実証が分かっています。雑穀たちの力が新時代の自然の薬なのです。
東北から沖縄に旅する雑穀たちのロマン
「2500年ほど前の東北の縄文土器が沖縄県の北谷(ちゃたん)町で発見された。」
北と南を結ぶ先史時代の壮大な人と物の交流を示すニュースが発表されました。出土品の土器は、縄文晩期後半を中心に北海道南部から青森、秋田、岩手などで花開いた亀ヶ岡文化の土器片で台付きの浅鉢らしいとのことで、表面には「エ」の字に似た模様がうねうねと走り、赤い顔料もうっすらと残っているそうです。鮮やかな漆器や宇宙人のような「遮光器土偶」で有名な亀ヶ岡文化の土器が西日本に伝播し九州にまでたどれていましたが、これで本州北端の文化が列島最南端の島々まで南下したわけです。専門家は「3千年ほど前に人や物の交流が盛んだったことを示す発見」だと評価しています。東北では沖縄周辺の海で採れるイモガイを模したとみられる土製品も広がっており、土器とともに北秋田のヒエやアワなどの雑穀たちも運ばれたと思うと、旅する雑穀たちのロマンを感じますね
くまさん自然農園の “一物全体”の理念
くまさん自然農園が生産・提供する雑穀たちは、自然の力による“一物全体”にこだわって生産しています。
「こだわり」とは、個性・独自性だと思っています。
■“一物全体”による健康(げんき)な暮しの構図
雑穀の力 ・みのるときが旬 旬の恵みと旬の力
地産地興 ・その土地で出来たモノでその土地を興します
一物全体 ・残すことなく全てを食す力をとどけます
元気の素 ・雑穀の力で病気を遠ざける元気づくり
身土不二 ・人と土地は一体で、二つとない健康の元です
■健康の循環を創る“一物全体”の発想
北秋田の風土、風景、風味 この“三風”によってつくられる雑穀たちが“一物全体”となって健康(げんき)の素を提供してくれます。
私たちは、一つひとつの雑穀たちの特色ある植物栄養素の力をかりて、安心安全で顔の見える食品づくりに取り組んでいます。
“一物全体”という食の循環により健康の循環を図ることに挑戦します。
雑穀、第三の波、夢の“一物全体”
21世紀は“植物栄養素”の時代と、脚光を浴び、その栄養成分の効能が実証され医学に貢献しています。栄養学第三世代、機能性医学第四の波と称され植物栄養素の有効性が高く評価されています。なかでも、人類が誕生して今日までその生命を支えてきた雑穀の豊富な栄養成分の有効性が、現代の科学によって実証されてきました。雑穀を主食としていた時代から、雑穀をブレンドしたり発芽させたりする第二の波から、雑穀のより有効活用を目指した第三の波に向かって、いまくまさん自然農園が挑戦しています。雑穀たちのそれぞれの有効成分を“一物全体”として活用する新しい開発です。手法は、さまざまな雑穀を天然成分を損なわない超高圧抽出法によって栄養成分をまるごと取り出し、パウダーやエキスとして商品化します。雑穀がもつ全ての有効成分を一つにする“一物全体”の発想で、21世紀が目指す健康経済社会の救世主としてご期待ください。
雑穀の色の秘密
雑穀の鮮やかで一粒一粒の輝く色に魅了されます。美しいオフホワイトからビビッドな黄色やクリーム色、誘惑するような赤やダークレッドに黒紫、落ち着いた茶色にグレーなど豊かな色彩の世界に魅せられます。
雑穀たちの着飾った色には、子孫を残すために大切な“種”を酸化から守る抗酸化物質のポリフェノールが含まれているのです。
この雑穀を常食すると細胞の酸化を防ぎ、常に若さを維持することができるのです。
雑穀の色は、体の酸化を防ぎ肝臓や腎臓をはじめ、体内の諸器官の若さを維持する働きをしています。その上、豊富な食物繊維や各種の微量ミネラルを吸収でき、体の機能をフルに働かせてくれるのです。
色鮮やかな雑穀は体の酸化を防ぎ、老化を遠ざけるため古代から神の聖なる穀物として栽培されてきましたが、アメリカでは雑穀の体機能調整物質に注目し、デザイナーフーズとして国民に啓蒙、推奨しています。
期待される北秋田の雑穀文化のルーツ(2)
縄文時代のストーンサークル「伊勢堂岱遺跡」
日本の自然遺産、白神山地の秋田県側の麓、鷹巣の米代川の近くに縄文時代後期の「伊勢堂岱遺跡」が1992年に発見され、2001年には約16万㎡が国史跡に指定されました。この遺跡は長径32m~45mの4つの環状列石群が確認され、堀立柱建物や土擴墓群、捨て場などで構成され、鹿角市の大湯環状列石と合せて「縄文時代のストーンサークル」として、秋田、青森、岩手、北海道の古代遺跡群と一緒に世界遺産登録を目指しています。出土品にはヒョウタン形土器、キノコ形、渦巻形土製品や板状土偶など珍しいものがあります。この地方は積雪寒冷地帯のため、水稲耕作も遅く伝わったと推定されており、籾痕のついた土器片が発見されても、弥生時代の水田跡はまだ未確認です。豊かな自然に囲まれ狩猟、漁労、採取などを主体とした生活が長期間続いていたことを考えると、米の前に雑穀の時代があったことがわかります。縄文文化の食生活が解明されるのも近いのでしょうね。