自然の「シードバンク」“雑穀”

一万年続いた縄文時代は現代の二千年程のカレンダー文化と比較すると気が遠くなります。今、縄文文化がブームで全国で縄文遺跡の発掘が進み、狩猟の道具や生活土器に付着したタネの痕跡、祭礼に使われた土偶など暮らしの様々な姿が解明されてきました。

弥生時代になって定住生活が始まると、農耕文化も定着し稲作も始まって暮らし方の形式は現代に近づいてきました。

人類の長い食文化を振り返り、ノルウェー政府は100国以上の支援を受けて「スヴァールバル世界種子貯蔵庫」を2008年に永久凍土層の地下に設けて約4000種、93万品種のタネを冷凍保存しています。この「シードバンク」が人類の未来を支える基盤かと思うと少し勇気がもてます。

人類誕生と付き合ってきた長い歴史のある雑穀たちは“自然のシードバンク”としてスーパーフードの地位を繋いでいることに、改めて雑穀の価値を感じます!

スローフードの本当の始まり!

世界の人口がこれから“増から減”に変わると伝えられていますが本当でしょうか。人口減は食糧生産や労働力、市場や流通と大きな変化をもたらすことになります。

これまでのファストフードやファストライフの台頭から食の見直しが始まりそうです。

1984年イタリアから始まった“スローフード運動”が本格的に再出発するのではないでしょうか。

地産地消の徹底、地域の素材を活かした食生活や食文化の再考。

環境に配慮した作物の生産や伝統食の注目、生産者と生活者をつなげる地域づくり。

食問題や課題の正しい情報発信と生活習慣病を根本から改善する取り組みが必要です。

人類が築いたスローフードの食文化雑穀食の伝統を今一度、辿る時代です。

スーパーフード雑穀は、ウィズ コロナへの新しい“スタートアップ”をします。

“雑穀文化財”のスタートアップ

奈良時代になって白米が貴族の主食として登場し、鎌倉~江戸時代には白米はあこがれの食料で主食とは程遠い存在でした。
昭和16年、米穀配給制度が始まり、31年にはコシヒカリが登場し「白米主義」が浸透し、集約的な栽培管理、施肥の進歩、高い収量を上げる育種、品種改良、大農式農法と近代農業技術が“雑穀”を駆逐することになります。
昭和56年、食糧管理法が廃止され米の配給制度が終わったのが56年前ですから夢の白米食の座も短かった気がします。
一方、雑穀は一絡げにされ人類の歴史とともに食の道を歩み続けてきたことを考えると“雑穀文化財”として未来につなぐべき食材ですね。21世紀に入って植物栄養素が注目されそのエビデンスが健康の維持増進を支えるスーパーフードとして浮上しています。飽食の時代、人生100年時代と言われる今、改めて“雑穀文化財”としてその意義を問うスタートアップが始まっています。

雑穀と呼べない「そば」ですが。

今では「そば」は麺として食べるため雑穀呼ばわりをしませんが、古くはアワやキビと同じ雑穀でした。高知県の遺跡からは9,000年以前のそばの実が出土しています。そばの実は奈良や平安時代には粒としてそば粥で食べられたり飢えを凌ぐ非常食でした。麺になったのは江戸時代からで、そばがきとそば切りと区別され「切そば」はファストフードとして広がりました。近年蕎麦屋のメニューに韃靼そばが加わりましたが、1840年にドイツの植物学者ゲルトネルがモンゴルに住むタタール民族が古くから栽培していたため彼らを表す“韃靼”から「韃靼そば」となったそうです。少し苦味があるのが特色ですがポリフェノールの「ルチン」の含有量が普通のそばの120倍も多く、毛細血管の弾力を上げ血圧降下作用を高め、成人病予防に有効と高く評価されています。そば粥やそば茶としても粒や粉もありますが「そば」は雑穀から自立したスーパーフードですね。

雑穀づくりと“ことわざ”

山の残雪が馬の形になったら田植えの時節と、地域によって言い伝えがあるように東北地方にも雑穀づくりにタイミングや作業を愛でることわざがあります。
・「八十八夜にあわを播け」
地方によって温暖差があり一般には百五の別れ霜(5月20日頃)が適切なのですが、東北では八十八夜の半月後頃からあわ播きの適期となるとのことです。
・「あわの一粒は汗の一粒」
あわ栽培の管理が大変なことからあの小さな一粒一粒に汗がにじむ苦労があるとの例えです。作物栽培に共通することわざかも知れませんね。
・「若い者ときびの穂は盆には出る」
きびの穂は順当ならお盆に出るように村の若者は当然盆踊りにはでかけなさいと若者を後押しすることわざです。
雑穀の農作業にも愛情のある“ことわざ”がたくさんありますね。

“酒と女と祭り”

ちょっと気を引くタイトルにしましたが雑穀の話です。酒造りの元祖は猿で木の祠などに木の実を貯めて自然に発酵したものが “猿酒”で、人間も縄文時代から酒を作っていたことがわかっています。
西洋では葡萄酒づくりに乙女が足で踏んで新酒を作ったり、日本でも地方によって酒造りは女性の仕事となっていました。
酒の原料も多種多様で古くはキビやアワなどの雑穀で作られ、酒は神に捧げられふるまい酒として祭りや収穫祭に欠かせない飲み物として伝承されています。
飛騨のどぶろく祭りや台湾の栗祭りなど、酒は清めの御酒でありふるまい酒として生活文化の必需品でした。
酒は百薬の長といわれたり、禁酒法の時代があったりで何かと物語の主人公になりがちですが、江戸時代から“酒なくて何の己が桜かな”と、長く人生の潤滑油なのです。

雑穀食がもたらした“飯碗”文化

子供の頃から手に茶碗を持って食事するのが日本の食文化でしたが、世界と比較するとどうやら異なります。西洋は皿とナイフとフォークの食卓ですし、身近な中国や韓国でも茶碗を口につけて箸で食べる習慣はありません。陶器も有田焼や清水焼、備前焼、九谷焼と賑やかですし、味噌汁やお吸い物をいただく輪島塗などの漆器の椀と日本独自の食器なのですが、この食生活のルーツは雑穀食がもたらした食文化だと言われています。
白米を主食とするようになったのは、戦後ですがそれまでは、古来の糅飯や雑炊が中心でしたから日常的に使って食器も碗(椀)と箸(短箸)で飯碗を口につけて箸でかきこむ食生活だったのです。
雑穀を様々な形で主食にしたため今の手で持って口元に運ぶつつましやかな“一汁一菜”の食文化が根づき、陶器や漆器の椀でなくても一人ひとりの決まった食器で食事をする文化は雑穀食がルーツなんですね。

持続可能な社会に貢献する“雑穀”

人類の誕生とともに付き合ってきた食べ物、雑穀は民族の最重要な食文化として受け継がれてきましたが、米が主食となると自給的農業は商品作物栽培を中心とした農業に変わりました。それでも雑穀は、しぶとく時を積み重ね暮らしの循環に必要な作物として21世紀につながっています。
雑穀は実を取った後、ワラは緑肥や緑飼として利用され堆肥の原料となり、野菜の連作障害や畑の改良に活かされています。
雑穀は植物栄養学の進展とともに、その高機能性が実証され健康経済社会に無くてはならない健康食材として高く評価されています。
雑穀の生産には課題もありますが、このウイズコロナの経験の中でこれまでの“常識を変える”大きなターニングポイントにして行きたいものです。世界が“持続可能な社会”を提唱するなか雑穀の循環型作物としての特色を見直し、雑穀の本当の力を伝えていきたいですね。

これから機能性(エビデンス)が解明される“雑穀”たち

古代の主食が“ひえ、あわ、きびやそば米”だった時代“雑穀”と呼ばれることはなく、稲作が始まり“米”がその座を奪うと、ひえ、あわ、きびはひとからげに“雑穀”と呼ばれるようになりました。雑として追いやられた感じですが、雑の語源は“おおまかなくくり”でとりあえずの位置ですからこれからそのエビデンスが解明される予備群でしょうか。雑穀予備群は広く未来が期待されます。
古代米の仲間では黒米や赤米があり、麦の仲間では大麦、小麦、押し麦、はだか麦、もち麦、はと麦、ライ麦やエンバクと賑やかです。
豆の仲間も雑穀と呼ばれていますが大豆や黒豆、小豆、青はだ大豆がありますが独立組の雑穀かもしれません。その他にアマランサスやキヌア、ワイルドライスなどが人気の雑穀として注目されています。
21世紀に入り植物栄養素の機能が研究され古代の雑穀たちがスーパーフードとして再び脚光を浴びる時代となっています。

救荒作物から健康救済作物へ

お米が主食になるまで、長い間ヒエ、アワは日本最古の主食で古代の健康食でしたが稲作が始まりお米が主役になりヒエ、アワは雑穀とひとくくりに呼ばれるようになりましたがそれでも飢饉の救荒作物としてヒエ、アワは無くてはならない救済作物でした。
古代は食料として食生活を支えましたが21世紀に入ると飽食の時代の中で生活習慣病の改善に雑穀の植物栄養素が注目され“健康救済食”として世界に広がっています。
ヒエ、アワに含まれるカリウム、ナトリウム、カルシウム、マグネシウムや鉄、亜鉛などのミネラル類がバランス良く含まれており、現代人に不足がちなビタミン・ミネラルを摂る最適な食材として評価されているからです。
2020年の厚労省の発表でも1日当りの食物繊維の基準18gを満たすには雑穀の植物栄養素が理想であると評価しています。血糖値の上昇を抑制し血中コレステロールを下げる雑穀類は現代に欠かせないスーパーフードです。