「つぶ」の魅力

小さなモノを「つぶ」と呼びますが、米つぶやひえつぶ、あわつぶと呼ぶと小さくて美しい丸みを帯びた姿が思い浮かび、そこに潜む大きな可能性をイメージさせてくれます。 

食物だけでなく「雨粒」は豊かな緑を育み命をつなぐ水をつくります。「つぶより」「つぶぞろい」は小さな塊が大きな役割を担います。 

小さなヒエやアワのつぶがまとめて雑穀と呼ばれますがその奥には愛らしく力のある響きを感じるのは”つぶ”と呼んだ先人たちの感性ではないでしょうか。 

豆つぶ、ご飯つぶ、ひえつぶやあわつぶと呼ばれるとひとつひとつのつぶが独立して大きな役割を担って見えるから不思議です。 

穂先につく一粒、一粒の実りこそが雑穀たちの力の源です。「つぶ」が小さいのと裏腹に一粒一粒が大きな可能性の塊であることを実証してくれるのが雑穀たちの魅力です。 

秋田の”餅”考

江戸後期の民族研究家、菅江真澄は長く秋田に暮し柳田国男に民俗学の祖と言わしめた人物です。 

その菅江の残した膨大な食の記録の中で特に秋田県各地の「餅」に関する記述があります。正月行事の餅、年中行事の餅、お菓子の餅、救荒食としての餅や凶作時に村人が考案した餅、マタギの餅やキリタンポ、ダマコモチの元祖のような餅にいたるまで、その食べ方や調理法まで記述は細部にわたっています。 

「餅」と言えば、もち米を使った白餅ですが当時は赤米やきび、あわの雑穀餅、豆餅やとち餅など多用な食材を使って作られました。餅は稲作が伝来し、蒸す技術が普及してきた弥生時代頃からひと手間かけて作られることから神に供える食物でした。 

日本では正月などの祭事に食べる慣習がありますが、岩手県では一年を通じて餅を食べる日が決められた「もち暦」があるそうです。 

地球環境変化を乗り越える雑穀文化

先進国の少子高齢化による人口減、発展途上国の人口爆発で2050年の世界人口は100億人に達すると予測されています。また、地球温暖化で牧草地の約14%が深刻な干ばつになり、灌漑耕作地の60%以上が水不足にさらされるとも予測されています。

一方では気候変動で新たな災害、線状降水帯が発生するなど人類が直面したことのない災害で”食糧危機”が広がっています。地球環境の様々な変化に対応して今「植物工場」が拡大し、将来、主要な作物の全てをカバーし通常の農業を超えるとも予測されています。

かつて飢饉や災害に雑穀たちが”災害作物”として人々を救ったように”自然の植物工場”の役割を担うのではないでしょうか。

古代ギリシャ人が”過去と現在を確かに見ることが未来だ”と説いたように、雑穀文化をつなぐことが新しい時代の危機を乗り越える知恵であり雑穀の底力を借りる時ですね!

「神は、トウモロコシで人を作った」

メキシコ原産と云われる“トウモロコシ”は、コロンブスとの出会いでヨーロッパに広がり、日本には1579年ポルトガルから長崎に伝わったロマンある雑穀です。

映画館で無くてはならないポップコーンですが、食材としてのトウモロコシは謎です。

茎の先端に雄花が咲き、葉の付け根から苞葉に包まれた雌花から長いひげを伸ばし実をつけます。トウモロコシはひげの数だけ実がなり皮に包まれて種を落とそうとしない不思議な種物で明確な祖先種も不明で“宇宙からやってきた”と云われ、マヤの伝説では“人間はトウモロコシから生まれた”と伝えられています。

家畜の餌やカマボコ、菓子など様々な食品の食材として使われ人間の体の半分はトウモロコシで出来ているとまで云われています。

植物学者は得体の知れない「怪物」と呼びますが、この謎に満ちたトウモロコシはロマンに溢れる雑穀の一つですね。

巧みな雑穀文化のネーミング

雑穀のみのる頃、七二候では“禾乃登”(こくものすなわちみのる)と呼ばれています。

禾(のぎ)は稲や稗、粟や麦などの穀物の総称でその穂先にある細い毛のことですが、穂を垂らした稲を描いた象形文字で、漢字の禾の部首の字は稲などの植物に関連します。

アワの実がみのる穂先には様々な型があり、実を区分するために穂先の型に名前がつけられています。円筒や円錐、棍棒(こんぼう)や紡錘(ぼうすい)糸を紡いだ型、猿手や猫足となんとなく型がイメージされる名前が付けられていますので楽しめます。

この雑穀がみのる“禾乃登”頃、海では鰯は脂がのり美味しくなり“海の米”や“海の牧草”と呼ばれ、魚たちの食糧になるそうですから面白いですね。鰯が群れをなして泳ぐ姿が稲の穂や牧草に見えますね。先人たちのネーミングに感心します。

俳句に詠まれた雑穀たち

秋にみのる雑穀たちは、俳句の秋の季語として先人たちに詠まれています。


粟(あわ)では芭蕉や正岡子規、高浜虚子が詠んでいます。
 よき家や雀よろこぶ背戸の粟     芭蕉
 鳴子きれて粟の穂垂るるみのりかな  子規
 山畑の、粟の稔りの、早きかな    虚子

 
稗(ひえ)の俳句では、
 稗めしの中の稗つぶ冷めやすし    加藤知世子
 稗抜くや月西国へゆくごとし     庄司圭吾


黍(きび)や唐黍(からきび)では蕪村や芥川龍之介も詠んでいます。
 黍刈て檐(のき)の朝日の土間に入る  子規
 古寺に唐黍を焚く暮日かな       蕪村
 唐黍やほどろと枯るる日のにほい    芥川


俳人や小説家の日常に詠まれた雑穀たちの風景が活々と蘇ってきます。益々、一派一絡げに雑穀と呼べない気がします。食の歴史がもつ雑穀個々の文化を感じます。

雑穀のレガシー(遺産)を現代に!

雑穀が主食の時代は、餅はあわ餅、ひえ餅、きび餅が作られていたようで、私たちに馴染みのあるのは万葉集の“桃太郎神話”のきび団子ではないでしょうか。

鬼たいじに行く桃太郎が“きび団子”で犬、猿、きじを家来にしましたが一番美味しい餅がきび団子だったからだそうです。

室町から江戸時代には、あわ餅、ひえ餅、きび餅も栄養豊富な庶民のお菓子として手軽に団子として茶屋で売られていたようです。

餅は平安時代には鏡餅の文化が広がり神に供える魔除けと健康を願ってのハレの日の食べ物でした。

あわは古事記にも登場し奈良時代には米と粟が正規の租税として使われていましたし、ひえも古事記の保食神(うけもちのかみ)の神話に出てくる冷害に強く常に飢餓を救ってきた作物で名前の由来も冷えに強いことから“ひえ”と付いたそうです。

雑穀は現代のレガシーですね。

北東北遺跡群に夢馳せる古代人の暮らし

約20万年前アフリカで誕生したホモ・サピエンスは、4万〜5万年前にアジア東部へ到達し日本列島には3万5千年前ごろにやって来たと云われていますが、まだはっきりしません、北海道・北東北の縄文遺跡群が世界遺産に登録され日本人のルーツとともに古代人の多彩な暮らし方に注目されています。

石器時代の洗練された道具や縄文時代のユニークな土偶や土器と弥生時代の定住と耕作と古代の暮らし方は謎に満ち、ロマンです。

北東北の縄文遺跡群の発掘、研究から少しづつ生活の姿がわかって来ています。狩猟から作物の農耕とともに、雑穀と呼ばれているひえ、あわ、きびが主食になり煮る、焼く、蒸す、蓄えるなどの調理の暮らしが根ずいてきたことが解明され、衣食住の生活インフラは今も変わらないことが証明されてきました。

北秋田市のハケノ下遺跡の発掘調査からも縄文時代から平安時代への長い暮らしの文化が見えてきました。

稗(ひえ)、粟(あわ)、黍(きび)のこと。

“冷えに強いから、ひえ”と呼ばれ土壌も選ばず寒さにも強い超優等の救荒作物で稲が伝わる以前からの古代食です。常に飢饉を救ってきた栽培作物として「日本書紀」の保食神の神話に登場する食物です。

「あわ・粟」は縄文時代には栽培が始まっていて麦より珍重され「古事記」にも登場する作物です。奈良時代には米とあわが正規の租税として使われ明治の始めでも米よりあわの栽培量のほうが多かったそうです。名前の由来は、「味が淡いから」あわと呼ばれ、阿波の国はあわが多く栽培されていたからとか。ひえ、あわは古代食の主役だったのですね。

「きび・黍・黄米」は、古代中国では最高級の主食で日本には、ひえ、あわより遅れて伝わり奈良時代の「万葉集」に登場します。

桃太郎の鬼征伐に「ついて来るならあげましょう、きび団子」とありますから、今のように“十把一絡げ”で雑穀と呼ばれるのも心外ですね。21世紀のスーパーフードなのにね。

詩(うた)でつなぐ雑穀文化

中国の少数民族、ミャオ族はタイやミャンマーなどにも住む山岳民族ですが、お祝いの時には餅をつき、稲の収穫が終わる“収穫祭”には日本と似た大きな鏡餅をついて神々に供えるそうです。文字を持たないミャオ族は歌を唱って民族の物語を伝承しています。

「もち米はまだ熟れてないか

 うるち米はとっくに倉の中に入ったで

 うるち米は言った“さあ来いよ、来いよ”

 もち米は言った「まああわてるな!”

 熟れたおまえは先に行け

 熟れたらおれもあとから行くわい

 おまえは先に酒になれ

 おれはあとから餅になる

 酒はアチャオの結婚祝いに

 餅はチンタンの新室宴に」

こんな歌で雑穀文化を伝承しています。宮崎県のひえつき節もあり、ミャオ族の藍染や刺繍、餅つきと日本文化のルーツを感じますね。

※歌詩出典:岩佐氏健 訳「ミャオ族民間長歌