今や日本の食文化を代表する調味料のマヨネーズですが、決して順風満帆ではない歴史があります。
1925年に初の市販がスタートしましたが、第二次世界大戦によって新鮮な原材料の供給が途絶え、製造は中断します。戦後は食生活の欧米化によって脂質や動物性タンパク質の摂取が増え、マヨネーズもこの変化の中で大活躍をしました。
食生活の変化に対応する形で、マヨネーズはさまざまな料理に取り入れられ、サンドイッチスプレッドやタルタルソースなどの新製品が誕生しました。しかし、需要が拡大する一方で良質な植物油の供給事情が悪化し、製造には多くの難題が伴いました。当時は大豆や菜種などの油糧種子には割当制度があり、輸入が制限されていたのです。
この困難に立ち向かいながらも、昭和36年に大豆、昭和46年に菜種の自由化が実現。これにより、サラダ油の使用が拡大し、マヨネーズの製造は順調に発展していくことが出来ました。
マヨネーズは、時代の変遷という試練を乗り越え、今日の我々の食卓を彩る一部となっています。その歴史を振り返ると、マヨネーズが持つ深い味わいを一層感じることが出来るのではないでしょうか。
新年の初めに「歳神様」を各家庭でお迎えし、新年の豊作と家族の安全を祈願する慣わしから日本のお正月に欠かせなくなったお雑煮やおせち料理。
三が日を過ぎるとお雑煮用のお餅が余ってしまったり、傷まないように砂糖や醤油でしっかりと味付けされたおせちの味に少し飽きてしまったりするものです。そこでマヨネーズを使ったリメイクはいかがでしょうか。
お餅にはお醤油などの王道の味付けは勿論、マヨネーズと七味を合わせた居酒屋風の味付けや、マヨネーズにお好みソース・青のりと合わせたお好み焼き風のおかずとしても楽しめます。
初日の出に似ていることから縁起物として頂くかまぼこには、マヨネーズとわさびを混ぜたディップソースを合わせればお酒の肴として楽しめます。余ったソースは野菜スティックにもぴったりです。
様々な伝統的な和風調味料に合うマヨネーズを利用して、ぜひ新年と共に新たな美味しさを見つけてみてください。
本年もくまさん自然農園では、北秋田の大自然で育む素材の良さを生かした卵油やマヨネーズ作りにこだわり続けてまいります。
食材のおいしさを引き立て、私達の毎日の食卓に欠かせなくなったマヨネーズですが、使用される油や卵の質に注目することで、将来のQOL(クオリティ・オブ・ライフ)をより高めることができると考えます。
一般的なマヨネーズで使用される油脂は植物油ですが、加工・精製する過程でトランス脂肪酸ができることがあります。日頃より脂質に偏った食事をしている人は生活習慣病のリスクを一層高めるため、トランス脂肪酸フリーのものを選ぶなど留意が必要です。
また、自然豊かな広大な土地で、たっぷりと太陽の光を浴びながら、のびのびと育てられた鶏の卵は鮮度が高く、食べた人に本質的なエネルギーを与えてくれると感じます。
どのような食べ物を選び、どのように食べるか。その日その一口の食物が積み重なり、5年後、10年後の心と身体の健康状態が変わります。
我々はこれからも皆様がいつまでも健康でより良い生活を送れるよう、自然な素材や自然な作り方にこだわったマヨネーズ作りに尽力していきます。
サラダや揚げ物はもちろんご飯やパンなど、万能な調味料といえばマヨネーズです。料理ジャンルを問わず幅広い使い方をするのは、実は日本特有なのだそうです。理由は材料や味の違いにあります。
欧米のマヨネーズは、卵に全卵を使用し、酢はぶどう酢や野菜を発酵させた醸造酢、油はサラダ油を使用するのが主流です。あっさりとした味わいのため主に野菜にかけて食します。一方日本のマヨネーズは、卵は卵黄だけで作られるものが多く、酢はまろやかな米酢、油は菜種油や米油を使用するのが主流です。欧米のものと比べるとコクや風味があります。
ヨーロッパ発祥のマヨネーズですが、洋食だけでなく和食にもマッチするように開発が進められた結果、日本のマヨネーズは独自の進化を遂げその万能さから何にでもかける人をマヨラーと呼ぶ言葉も定着しました。様々な料理に調和できる日本のマヨネーズは、現代の言葉でいう“コミュ力の高い”調味料と言えそうです。
雑穀は21世紀の健康食材として再注目されていますが、雑穀の小さな秘密がエビデンスとして裏づけています。
・人類の命とともに生きながらえた食物
・いったん根付くと、どん欲に成長する
・生命維持に必要な栄養素の宝庫
・光、水、土の養分とヒトの汗に応じて育つ
・馬と人と雑穀の循環型農業で生産できる
農薬を使わない農業の実践
肥料や農薬など過保護にしなくても育つ
・その土地の風土の味を保つ
雑穀にも新米のような旬の味がある
など、小さなツブの中に力強さを秘めています。21世紀のスーパーフードとして再登場した雑穀ですが、その栄養素のエビデンスが解明され益々注目されています。
コスパやタイパなど効率化やスピード化が求められる時代、食事も外食が多くなり健康への効率化への配慮が、雑穀で救われますね。
雑穀食を”つぶつぶ・まんま”や”へんちょこ・めし”と呼んだりして楽しみながら、ベランダや庭に雑穀を植えて楽しんではいかがでしょうか。
ベランダのプランターにヒエやアワなどの種をまき、実りの穂を収穫してタペストリーに張り付けてインテリアにしたり、ボードに張って英語でmillet、スペイン語でmijo、ラテン語のsorghumなど雑穀のネーミングを書き込んで手造りのアート作品作りも楽しい時間です。種は小さなガラスビンに入れて書棚に置くのも洒落たインテリアです。
長目の穂は束ねてドライフラワーとして飾っても楽しい作品です。
雑穀を活用した我が家の循環型”ライフ・シード工房”は命の種を見える化して楽しめます。種をまいて成長を眺め、収穫して食べ、アート作品として飾り、また種をまく我が家のゆっくりとした雑穀カルチャーに挑戦しませんか。
小さなモノを「つぶ」と呼びますが、米つぶやひえつぶ、あわつぶと呼ぶと小さくて美しい丸みを帯びた姿が思い浮かび、そこに潜む大きな可能性をイメージさせてくれます。
食物だけでなく「雨粒」は豊かな緑を育み命をつなぐ水をつくります。「つぶより」「つぶぞろい」は小さな塊が大きな役割を担います。
小さなヒエやアワのつぶがまとめて雑穀と呼ばれますがその奥には愛らしく力のある響きを感じるのは”つぶ”と呼んだ先人たちの感性ではないでしょうか。
豆つぶ、ご飯つぶ、ひえつぶやあわつぶと呼ばれるとひとつひとつのつぶが独立して大きな役割を担って見えるから不思議です。
穂先につく一粒、一粒の実りこそが雑穀たちの力の源です。「つぶ」が小さいのと裏腹に一粒一粒が大きな可能性の塊であることを実証してくれるのが雑穀たちの魅力です。
江戸後期の民族研究家、菅江真澄は長く秋田に暮し柳田国男に民俗学の祖と言わしめた人物です。
その菅江の残した膨大な食の記録の中で特に秋田県各地の「餅」に関する記述があります。正月行事の餅、年中行事の餅、お菓子の餅、救荒食としての餅や凶作時に村人が考案した餅、マタギの餅やキリタンポ、ダマコモチの元祖のような餅にいたるまで、その食べ方や調理法まで記述は細部にわたっています。
「餅」と言えば、もち米を使った白餅ですが当時は赤米やきび、あわの雑穀餅、豆餅やとち餅など多用な食材を使って作られました。餅は稲作が伝来し、蒸す技術が普及してきた弥生時代頃からひと手間かけて作られることから神に供える食物でした。
日本では正月などの祭事に食べる慣習がありますが、岩手県では一年を通じて餅を食べる日が決められた「もち暦」があるそうです。
先進国の少子高齢化による人口減、発展途上国の人口爆発で2050年の世界人口は100億人に達すると予測されています。また、地球温暖化で牧草地の約14%が深刻な干ばつになり、灌漑耕作地の60%以上が水不足にさらされるとも予測されています。
一方では気候変動で新たな災害、線状降水帯が発生するなど人類が直面したことのない災害で”食糧危機”が広がっています。地球環境の様々な変化に対応して今「植物工場」が拡大し、将来、主要な作物の全てをカバーし通常の農業を超えるとも予測されています。
かつて飢饉や災害に雑穀たちが”災害作物”として人々を救ったように”自然の植物工場”の役割を担うのではないでしょうか。
古代ギリシャ人が”過去と現在を確かに見ることが未来だ”と説いたように、雑穀文化をつなぐことが新しい時代の危機を乗り越える知恵であり雑穀の底力を借りる時ですね!
メキシコ原産と云われる“トウモロコシ”は、コロンブスとの出会いでヨーロッパに広がり、日本には1579年ポルトガルから長崎に伝わったロマンある雑穀です。
映画館で無くてはならないポップコーンですが、食材としてのトウモロコシは謎です。
茎の先端に雄花が咲き、葉の付け根から苞葉に包まれた雌花から長いひげを伸ばし実をつけます。トウモロコシはひげの数だけ実がなり皮に包まれて種を落とそうとしない不思議な種物で明確な祖先種も不明で“宇宙からやってきた”と云われ、マヤの伝説では“人間はトウモロコシから生まれた”と伝えられています。
家畜の餌やカマボコ、菓子など様々な食品の食材として使われ人間の体の半分はトウモロコシで出来ているとまで云われています。
植物学者は得体の知れない「怪物」と呼びますが、この謎に満ちたトウモロコシはロマンに溢れる雑穀の一つですね。