地名になった雑穀たち

「雑穀」という言葉がいつ頃から使われたかは定かではありませんが、雑穀ブームもあり“ヒエ・アワ・キビ”が雑穀としてすぐ浮かびます。
昔は、時代によってマメ類やムギ類、ソバやゴマまでが雑穀に含まれることもありました。
「雑穀」とは、主にイネ科の穀物の中でも小さな実を付ける作物の総称として使われていますが、英語でもミレット(millet)と呼ばれ、milleが数字の千を意味するとおり数千粒の実をつけることから、そう呼ばれたのです。
そんな雑穀たちの名前が地名になったと民俗学者柳田国男さんが説かれています。
「アワ」が多く生産されたので阿波の国(徳島県地方)、「ヒエ」が多く生産された閉伊の国(岩手県から青森県地方)、「キビ」が多かった吉備の国(岡山県・広島県地方)と呼ばれたのだという説です。
雑穀がその地を表す地名になるほど主要な食糧として大切にされていたことが分かるような気がします。

雑穀から生まれた「粒粒辛苦」

祖父母や両親から「お米はお百姓さんが苦労して作るのだから、一粒たりとも粗末にしてはダメ」と言われた事は誰にもあることです。
中唐の詩人、李紳(りしん・780年〜846年)の漢詩「憫農(農をあわれむ詩)」に、有名な「粒粒辛苦(りゅうりゅうしんく)」という一節があります。
今、私たちが食事のときに「めしにしよう」と言いますが、めしは蕎麦やラーメン、ハンバーガーでもいいように、漢字で「米」と書くと語源的には穀物の粒のことで、あわ、きび、ひえも米と呼んでおり、その一粒一粒が作った人の苦心の結実であることから、物事をやり遂げる・苦労し抜くこととして知られています。
万葉集に「住吉(すみのえ)の岸を田に懇り(はり) 蒔きし稲 かくて刈るまで会はぬ君かも」とあるように、苦労して開墾して蒔いた稲を刈り取るまでは恋しい君にあえないことがとても辛いです、という意味ですが、苦労の連続の末に実る雑穀たちに愛しさを感じます。

比内鶏の秘密

鷹巣から少し内陸の大館市や比内町は、古くから肉の美味しい比内鶏で有名です。

この「比内」という地名は、金田一京助先生によるとアイヌ語で「崖下を流れる小川のほとり」という意味で、豊かな自然の風景を思わせます。比内鶏は昭和17年、国の天然記念物に指定され、「声良鶏 (こえよしどり)」(国の天然記念物)、「金八鶏(きんぱどり)」(秋田県の天然記念物)とあわせ「秋田三鶏」と称される自慢の鶏たちです。天然純血種の比内鶏の食用は禁じられていますので、アメリカのロードアイルランドレッド雌と掛け合わせた一代雑種が「比内地鶏」という名前で生産・流通されているわけです。

秋田郷土料理「きりたんぽ」は、比内地鶏抜きでは語れません。比内地方の土質が、キジや山鳥に似た肉質と脂のきめ細かい比内地鶏を生む秘密だそうです。噛みしめるほど美味しい風味と香気がでる比内地鶏は、自然界からの贈り物なのかもしれませんね。

ダンブリ長者と米代川(よねしろがわ)

「くまさん自然農園」にとって“母なる河”米代川は、岩手、青森、秋田の県境にある中岳(1024m)に源があり、岩手から花輪・大館・鷹巣盆地を経て能代平野から日本海に注ぐ延長136kmの豊かな1級河川です。
この米代川の名前にはおもしろい伝説があり、なんでも鹿角地方に住む「ダンブリ長者」と呼ばれる長者の屋敷から多量のお米をとぐ白いとぎ汁が河に流れ、「米白川」と呼ばれたことから「米代川」となったのだそうです。その他にも、蘭医で地理学者の古川古松軒が紀行文に「野代川」と書いています。「野代」は野に代ることから、能く代わるように「能代」と改称され、河口が砂堆地で「砂代(ヨネシロ)」といわれたなどの説もあります。米代川は古くから舟運が盛んで上流の村々から秋田杉や鉱山の金・銅・鉛などを運ぶ動脈だったのです。川幅いっぱいに水が流れる米代川は、大洪水を起こしながら肥沃な地をもたらし、ダンブリ長者を育てた豊かな土地を生んだ“母なる河”なのです。

参考文献:あきた北空港/前川清治・秋北新聞社

地形から生まれた「鷹巣」と「前山」

私たちの「くまさん自然農園」のある北秋田市は平成17年、鷹巣・森吉・阿仁・合川の4町が合併して誕生しました。「母なる河」、米代川流域と白神山地の 懐に抱かれた鷹巣盆地にあり、自然豊かな地です。米代川は古くから洪水を繰り返し、その氾濫原から作られた小高い段丘の台地が「高州(たかす)」と呼ばれ たことから「鷹巣」の地名が生まれました。
また、羽州街道が山麓を横断する「前山」は、米代川に注ぐ前山川の下流で米代川に突き出した山根ぎりぎりまで田地が伸びた地形から、「前山」と呼ばれたそ うです。特異な地形と枝沢が多い前山地区は昔から人々が協力して田畑を作る自作農家で“協働のむらづくり”精神が根づいていました。
「天保飢饉」(1832年〜1836年)でも、前山村は大凶作に備えて「籾」を蓄えていたことから、鷹巣村とともに一人の餓死者も出さなかったとの記録が残っています。前山には豊年満作と厄除けを祈願する珍しい盆踊りが伝承されていますので、またお話しましょう。