秋田には大館や角館という「館」のつく地名がありますが鷹巣地方にも「館」のつく地名が数多くあります。「館」はアイヌ語では「柵囲い、砦」の意だそうです。蝦夷時代には防砦として利用され、鎌倉時代には「館」は武士の邸宅でしたが行政的な機能も加わり、軍事的な役割も果たしています。東館、西館、内館の呼び名もあり、やがてこの「館」を利用した家塾が開かれ庶民の教育や学校、図書館としても広がっていきました。
鷹巣地方では「内館塾」を始め15校の家塾が秋田藩や全国の水準を上回る教育施設として栄え、明治、大正期には人材輩出の基礎となっています。その一人に江戸時代の比内文化を代表する碩学(せきがく)の人で朱子学を確立した学者、宮野尹賢を生んでいます。
字源では「館」は、食と人が集まっている家の意です。優秀な人材が集まり図書の貯蔵をつかさどる意もあり、「内館文庫」は豊穣の地、鷹巣の知恵の殿堂なのです。