縄文時代前期の地層からヒエ、アワ、キビなどの雑穀のプラント・オパール(細胞がガラス質に変わった植物タンパク石)が混じった土器片が出土しています。縄文人は雑穀を貯えて多様な食生活を送っていたようです。人類と長い縁のある雑穀たちですが、この縁が現代に受け継がれていることに愛着を感じます。
「ヒエ」は気温の冷えに耐えることから“ヒエ”と呼ばれ、「アワ」は味が淡いことから“アワ”と呼ばれたと考察されています。
地名では民俗学者の柳田国男は、「アワ」は多く生産され地域の特産物になったことから阿波の国(徳島地方)、「ヒエ」が多い国を閉伊の国(岩手県、青森県)、「キビ」が多い国を吉備の国(岡山県、広島県)と呼んだのではないかと説いています。
雑穀の産地である岩手や青森に多い二戸、八戸、九戸などの“へ”や下閉伊、稗貫などの“へい”が“ひえ”のつく地名であることも興味深く感じられます。