柳田国男は「稗の未来」(昭和14年)で「ひえの歴史について誰も皆一向に無学である」と書いていますが21世紀に入り、見事にその屈辱を晴らしています。柳田は、また「ひえは“冷え”に耐えることが語源とされ青森、岩手、北海道など寒冷地や高冷地が主要な産地で、岩手の閉伊地方は“ひえが多く作られる地方”とも言われている」とも書いています。ひえは乾燥地よりも湿潤地を好み、干ばつにも酸性土壌や塩害にも強く、やせた土地でもよく出来る「備荒作物」であり、一般作物の不作に備える「備荒作物」として栽培されました。天保、天明の飢饉のときに、二宮尊徳が農民にひえ作りを奨励して災厄を逃れた話は有名です。ひえのように食物繊維の多い雑穀たちが腸内細菌の働きを活発にし腸の環境を整え、免疫力を高めることがわかり健康食材として注目されています。腸は、第二の脳といわれるように重要な機関であり、雑穀たちの未来は輝かしい限りです。