天保の大飢饉(1833年~1837年)は日本だけでなく世界的でも異常気象が多発していました。天保4年(1833年)、秋田では6月に入っても毎日雨が続き夏になっても冷害でセミも蚊も姿を見せないなど、大凶作の様子が記録されています。
不作で亡くなった人の3分の1は餓死で、残りは疫病と山野草の食い合わせが悪く塩分不足で亡くなった人が3分の1ずつだったそうですが、老人や子ども、女性より働き盛りの男性が亡くなるケースが多かったことから栄養不足だったことがわかります。
それを証明したのがマタギの里で餓死者は無く、とちの実やアワ、ヒエの雑穀との混食が栄養バランスを保ったからです。
飽食の時代の今、188年前の凶作の教訓に習って栄養のバランスを考えた食生活を再考し、コロナ禍で誕生した“黙食”などの淋しい食事ではなく、スーパーフード雑穀で元気な食生活を日常にしたいですね。